2006年09月24日

鷲ぬ鳥節1番・歌詞の意味・解説・その1

鷲ぬ鳥節・歌詞1番の意味を勉強やりましょう!
1番、大山ぬ 上なか       中山ぬ 側なか 
    ウフヤマヌ ウイナカ    ナカヤマヌ スバナカ

山林の大木が続く山々をウフヤマ、ナカヤマと言っている。
上なか(山に深く入り奥の方)   側なか(山に浅く入り手前の所) 

※ バスィヌ  トゥルィ  ヤゥ    二ガユナ  バスィ  

Posted by yaimakoten at 09:24Comments(2)TrackBack(1)

2006年09月06日

鳩間節・歌意その10

この、鳩間節は無名で詩人の「仲底真那」が1704年頃「鳩間ユンタ」として、作詞・作歌
謡われたと言い伝えられている。後に、当時の役人によって改作され、工工四に発表され
たのが有名な名曲として現在歌われている鳩間節である。  

Posted by yaimakoten at 22:02Comments(0)TrackBack(0)

2006年09月05日

鳩間節・歌意その9

この歌は、島の生産の歓びを謡いつつも、その反面には上原と舟浦両村民の無慈悲に
対する敵愾心を謡って溜飲が下ったと言う歌である。  

Posted by yaimakoten at 09:27Comments(0)TrackBack(0)

2006年09月04日

鳩間節・歌意その8

鳩間島の人々は、この無慈悲な鉄面皮の上原や舟浦の人が鳩間島に来たら、お神酒も
普通の器ではなく、ハマグリの殻で飲ませろ!「人間としての待遇をするなとの意」  

Posted by yaimakoten at 09:21Comments(0)TrackBack(0)

2006年09月03日

鳩間節・歌意その7

ここで鳩間島の役人は、小浦・福浜・下離各村の土地を選定し、鳩間島の男女総動員して
新地を開拓させた。  

Posted by yaimakoten at 08:54Comments(0)TrackBack(0)

2006年09月02日

鳩間節・歌意その6

蔵元政庁では、この借地返還要求を認めず、新開拓地を得るまでは借地返還要求は絶対
不可であると厳命されたのである。  

Posted by yaimakoten at 09:26Comments(0)TrackBack(0)

2006年09月01日

鳩間節・歌意その5

鳩間人の稲作は毎年豊作し、地元上原、舟浦の人は怒りだし水田の借地返還を要求した
のである。  

Posted by yaimakoten at 08:39Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月31日

鳩間節・歌意その4

鳩間島の人達は、西表島に田宿屋を建て2泊,3泊して耕作に精魂を打ち込んでいた。  

Posted by yaimakoten at 09:52Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月30日

鳩間節・歌意その3

鳩間島には水田が皆無であるため、蔵元政庁では人頭税貢納の関係で、真向いの西表島
上原村と舟浦村に鳩間人に借地させて稲作を強制させたのである。  

Posted by yaimakoten at 07:18Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月29日

鳩間節・歌意その2

八重山の蔵元政庁では「1703年」黒島の保里村から、男100人女50人を強制移住させ、
鳩間村を独立させたのである。  

Posted by yaimakoten at 09:24Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月28日

鳩間節・歌意その1

鳩間島に人が住みついた年代から見てみよう!
1701年「船屋儀佐真・後に改姓・鳩間儀佐真」の計画と尽力によって.西表島の古見村
から男8人、女6人計14人で山林を開拓、小村を創立し西表島の古見村管轄にした。  

Posted by yaimakoten at 08:25Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月26日

鷲ぬ鳥節・歌意その7

「鷲ぬ鳥節」は本調子でありながら「尺の音」を使わないで「中の音」を使う、この旋法は
支那を中心に欧州に多く沖縄では少ないが、八重山に多いのは中国の影響を受けたの
を物語っている。あの雄大な歌詞を雄大なメロディーに載せたことが、芸術的価値を一
層高めたのである。  

Posted by yaimakoten at 08:29Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月25日

八重山古典民謡保存会・予定その2

平成18年9月10日(日)18時30分から「国立劇場おきなわ」於いて師範・教師・研修会を
開催多くの参加者を呼びかけている。「参加資格者は八重山古典民謡保存会那覇支部に
登録されている師範・教師に限る」  

Posted by yaimakoten at 11:25Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月25日

鷲ぬ鳥節  歌意・その6

この、民謡を西洋音楽に例えるならば「ベートベンの第9交響曲」に似ている。旋律の動き、
流れが陽旋法から構成され、リズムが1拍子を主体としている。次回へ  

Posted by yaimakoten at 07:29Comments(0)TrackBack(1)

2006年08月24日

鷲ぬ鳥節  歌意・その5

音楽の専門家は次のように語っている。「鷲ぬ鳥節」のリズムを分析すると寂しさや、悲し
さがなく音階を調べて見ても、哀調を帯びた琉球音階ではなしに、大陸的な五声音階から
なっている。次回へ!  

Posted by yaimakoten at 08:15Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月22日

八重山古典民謡保存会・予定その1

平成19年3月18日(日) 国立劇場沖縄に於いて、師範・教師・免許審査を実施予定、
多くの参加者を希望している。「受験資格は入会後継続して稽古を重ね満5年で師匠
の推薦としている」  

Posted by yaimakoten at 14:55Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月21日

鷲ぬ鳥節  歌意・その4

鷲ユンタが謡われ「仲間サカイ」が101歳で没、それから80年後の「1842年」役人で
偉大な音楽家の「大宜味信智」によって改作され「鷲ぬ鳥節」として音楽界に発表した。  

Posted by yaimakoten at 13:06Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月20日

鷲ぬ鳥節  歌意・その3

「与那国御嶽」の司、「仲間サカイ」は大木に鷲の鳥の巣作りを発見し観察を続けていた。
日もあろうに正月のほこらしい元日の朝、親鷲と共に羽ばたきして、飛び立って東方目掛
けて威勢よく飛んでいくのを見た「仲間サカイ」は即興で「鷲ユンタ」を詠んだと伝えられ
ている。  

Posted by yaimakoten at 07:05Comments(3)TrackBack(0)

2006年08月19日

鷲ぬ鳥節  歌意・その2

今から244年前の1762年頃当時浜辺だった、現在の石垣市大川218番地に大木に
囲まれた「与那国御嶽」があった。  

Posted by yaimakoten at 13:36Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月18日

鷲ぬ鳥節  歌意・その1

大鷲が巣作りを始め、卵を産み、雛を育て、飛立つまでの様子を観察して詩にした物語り。  

Posted by yaimakoten at 06:58Comments(2)TrackBack(0)